1番だけが知っている 平成最後の大冤罪事件を救った弁護士の想いとは!?

1番だけが知っている注目の記事は、平成最後の大冤罪事件を救った弁護士の想いとは!?です

 

今から10日前全国に信じられないニュースが駆け巡りそれを受け北村弁護士はある人物の元へ向かいました

 

北村弁護士

「平成最後の冤罪が晴れる事件です。」

 

 

その事件は松橋事件です

1985年に起きたこの殺人事件である男性が逮捕され13年間獄中に入れられました

だが男性は無実で誤認逮捕でした

浮かび上がってきたのは捜査の重大な過ちです

男性を犯人に仕立てあげた疑惑の警察官

さらに無実の告白を封印させた疑惑の弁護士

 

わずか10日前に無罪へと動き出した平成最後の大冤罪事件です

北村弁護士が魂震えた!平成最後の大逆転裁判とは!?

 

 

事件が起きたのはバブル景気に差し掛かろうとした1985年です

現在の熊本県宇城市にある松橋町で一人暮らしの59歳の男性が遺体で発見されました

死因は失血死です

金銭などは盗まれた形跡はなく首や顔など十数か所をメッタ刺しにされたことから被害者に深い恨みを持っている者の犯行が疑われました

そして犯人と疑われたのが近所に住む宮田浩喜さん51歳です

当時松橋で一人暮らしをしていた宮田浩喜さんを警察が疑った理由は

遺体が見つかる三日前1月5日夜のある出来事でした

宮田浩喜さんは、被害者宅で行われた宴会に参加しました

しかし、些細な事から口論が始まったといいます

その日は喧嘩別れの形で被害者宅を後にしたというがその三日後口論していた男性が遺体で見つかりました

警察は宮田浩喜さんに任意の事情聴取開始しました

当初は必死に無実を訴えていました

なぜか、その後警察でも裁判でも自白してしまいました

実は、その裏にはいわくつきの警官と弁護士の存在がありました

早朝から深夜まで合計63時間にも及んだ警官の取り調べ耐えかねた宮田浩喜さんはやってもいない犯行を認めてしまし逮捕されました

裁判で身の潔白を訴えるつもりだったが宮田浩喜さんには力になってくれる弁護士を雇うお金がなかったです

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そこで登場したのが国から派遣された一人の国選弁護人でした

しかし、この弁護士も問題の人物でした

宮田浩喜さんは

「私はやってません

裁判で身の潔白を証明してください」

 

するとその弁護士は

「宮田さん殺人を自白してしまった以上無罪で争うのは無理です

無罪で争うなら別の私選弁護人を雇ってください

私は無罪の弁護は出来ません」

 

 

何と容疑を否認するなら弁護できないと突き放したのです

 

 

 

北村弁護士

「弁護士として許せない

言葉を探せないくらいひどい話しです

否認するなら私選弁護人を雇うしかないと仮に言ったとすれば許せないです」

 

 

 

経済的理由から私選弁護人を雇えなかった宮田浩喜さんは裁判が始まると国選弁護人の方針に従うしかなく裁判でも嘘の自白をせざるをえない状況に追い込まれました

その後、否認したものの自白が決め手となり実刑判決になりました

宮田浩喜さんは判決を不服とし争うことを決めたが1988年福岡高等裁判所でも主張は認められずその後闘いの舞台は最高裁判所に移されました

これが最後の闘いもしも最高裁判所で無実が証明できなければ生涯殺人犯として生きる事になります

しかし宮田浩喜さんには親身になって助けてくれる弁護士を雇うお金はありません

国から派遣される国選弁護人も誰が来るかわからないです

最高裁を前に宮田浩喜さんは完全に追い詰められました

そこに登場したのが北村弁護士が震えるほど感動したという一人の国選弁護人でした

今から4日前北村弁護士はその弁護士の元へ向かいました

同じ弁護士としてどうしても聞きたいことがある伝えたいことがあります

 

その弁護士は、東京都中央区でアシスタントもなくたった一人で弁護士事務所を構える

齋藤誠 弁護士 73歳

庶民の味方になりたいそんな思いで弁護士になって40年

弁護活動だけでなく地域の保育問題や女性の労働環境問題など町の弁護士として地道な活動を続けて来ました

そんな齋藤誠弁護士に北村弁護士が聞きたかった事は

「ホントに困難な刑事事件に立ち向かわれて僕の弁護士生活よりも長い期間あの事件に取り組まれた本当に頭が下がります」

 

30年以上も関わることになった事件を弁護を引き受けるきっかけは?

 

齋藤誠弁護士によると、それは弁護を受ける前に捜査資料を見直した時に感じた違和感でした

それは、恐ろしい事実の数々でした

まず目をつけたのは宮田浩喜さんが強要された自白の内容でした

警察が作った調書によると事件当日宮田浩喜さんは夜9時ごろから被害者宅に参加していたが些細なことから被害者と口論になり殴られそうになったため帰宅しました

怒りが収まらなかった宮田浩喜さんは自宅にあった刃渡り約11センチの小刀を持ちだすと小刀に血が付かない様に古くなったシャツの左袖を切って柄の部分に巻き付けたといいます

その後被害者宅へ戻り開いていた引き戸から侵入し首や顔を刺して殺害し、その後小刀の柄に巻いたシャツは焼却し小刀は入念に血を洗い流し研いで証拠隠滅したとされています

この自白でまず、齋藤誠弁護士が疑問に思ったのが

「刃物でメッタ刺しの事件で結構周辺に血が飛び散っていました

殺したという宮田さんの当時着ていた衣服、特に重要なのが小刀が凶器とされたのにそこに一切血液反応がなかった

これは、はっきり言っておかしいです」

 

 

 

次に疑問に思ったのが

 

齋藤誠弁護士

「本人は私は絶対やってないと否認している

そうすると最初になぜ犯行を認めたのか?ということが私は最大の疑問でした」

 

 

調べてみると

 

齋藤誠弁護士

「異常に長い取り調べの時間

1日に何時間も取り調べに耐えるのは非常に苦痛なんだ

早く逮捕してくれと言ったというふうに言ってました」

 

 

警察の捜査への深まる疑惑そして何より許せなかったのは

裁判で無実を訴えたかった宮田浩喜さんに罪を認めるように迫ったあの国選弁護人です

 

 

齋藤誠弁護士

「事件の記録を見て愕然としました

なんで最初の弁護士はこんな事をやったんだ」

 

 

怒りに震え宮田浩喜さんの無実を証明しようと立ちあがった齋藤誠弁護士だったがこの裁判には大きな問題がありました

 

齋藤誠弁護士

「最高裁は証拠調べが出来ないです

ですから書面で検討して出すしかないんです

これはひっくり返すのは難しいと率直に思いました」

 

 

結局齋藤誠弁護士が国選弁護人を依頼されたタイミングからでは判決を覆す準備期間が足りず予想通り

最高裁で1990年1月26日懲役13年の刑が確定しました

国から依頼された国選弁護人としての仕事はここで終わりでした

 

 

本人や家族に救ってほしいと依頼されたわけでもない

それでも齋藤誠弁護士は宮田浩喜さんの無実を証明する戦いを決意しました

 

 

齋藤誠弁護士

「同じ弁護士として何とかしてあげなきゃと思った

しかも、もっとけしからんと思ったのは最初の国選弁護人に会って聞きたいと申し上げたんですよ

実は拒否されました

私は、同じぐらいけしからんと思ってる」

 

 

 

こうして齋藤誠弁護士は協力してくれる弁護士を募り弁護団を結成しました

しかし、そこからの作業は困難を極めました

弁護団は、それぞれ通常の業務があります

その隙を見つけては事件に関わる情報を集めるという日々でした

東京に事務所を構える齋藤誠弁護士も自費で熊本を何度も訪れ当時の関係者などに聞き取り調査を行いました

そんなある日、齋藤誠弁護士は宮田浩喜さんの無実を確信しました

実は宮田さんはかねてから真犯人として心当たりのある人物について口にしていました

話しを聞いてすぐ齋藤誠弁護士は、その人物の元へ向かいました

その人物は宮田さんが逮捕されたのち浴びるように酒を飲み最後は廃人のようになって他界していました

すると宮田さんは突然怒りに震え出し

 

齋藤誠弁護士

「宮田さんは刑務所を出たら真犯人を捕まえてそいつを自白させて自分が無実になるのが一番の気持ちだった

それが出来ないことがわかった

その絶望感がそのときホントに感情をむき出しで出たと思っています

あの時、宮田浩喜さんは本当にやっていないと自分でも確信を持てました」

 

 

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