中居正広の金スマ 葉加瀬太郎は、大阪の千里ニュータウンの一般家庭からどのようにして世界的なヴァイオリニストになったのか?

中居正広の金スマSP

超を気になる男、葉加瀬太郎

情熱大陸のテーマ曲でお馴染み

2013年には単独ワールドツアーを成功しています

世界的バイオリニスト葉加瀬太郎さん

だが彼の過去を詳しいことは知らない

葉加瀬太郎の過去とは?

大阪のニュータウンの団地っ子

典型的なその時代の普通の家の子だと思うんだよね

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どのように葉加瀬太郎は世界的な音楽家となったのか?

1968年 大阪府吹田市生まれました

葉加瀬太郎さんが育ったのは庶民的な団地でした

千里ニュータウンと言う万博があった後の大阪の団地っ子です

2DKの間取りに家族5人暮らしでした

食事が終わればテーブルを片付けて布団をひいて寝ていました

それでも両親は子供たちの教育には熱心でした

長男の葉加瀬太郎には一週間違う習い事をさせていました

ヴァイオリンは数ある習い事の一つでした

4歳でヴァイオリンを習い始めました

父親は外食産業のサラリーマンでした

母親は専業主婦です

本来は音楽の定番であるピアノを習わせたかったのですが場所もとらず値段も安いバイオリンになりました

しかしプロの演奏家を育てる教室ではなかった

ある日を境に真剣に取りくみました

伸子ちゃんという間違いなくクラスで一番可愛かった

私もバイオリンやってんねん

どこに住んでる?と聞いてみると

C10棟

俺はC11棟

つまり隣同士の団地でした

ちょっとバイオリンを弾いてもらうと

それはかなり衝撃でした

ものすごく上手だった

葉加瀬太郎さんは4歳からやっていて少し自信があったが…

そこで何だかちょっとまけていられないと言うかものすごくモチベーションが上がることになりました

初恋です

そこから猛烈にバイオリニストになろうという気持ちになった気がします

ちなみにその伸子ちゃんとは、中学から大学まで一緒の学校に通いました

今は、イタリア中心として活躍する

ヴァイオリニストの村越伸子さん

国際大会でも上位入賞する経歴を持っています

ヨーロッパ各地で演奏しています

村越伸子さんに葉加瀬太郎さんのことを伺ってみました

子供って難しい曲を弾いてるとびっくりするじゃないですかそれで多分私がびっくりさせてしまったんだと思います

ライバルではないですね

バイオリンを辞めたくなる時いっぱいあるじゃないですか

それが続いたのはやっぱり葉加瀬太郎君がいたからかなと思います

葉加瀬太郎さんの恋心については?

それはわかりますよね普通はね

出来の悪い弟と言うか葉加瀬太郎は運動音痴だったから逆上がりを教えるとか他の事を教えるというほうが

多分私の方が偉そうだったと思います

次第に葉加瀬太郎さんはバイオリンを弾くことが楽しくて仕方なくなりました

学校から帰り夜9時までご飯を食べるのを忘れて練習していました

ヴァイオリンを弾く環境が大きく変わる出来事がありました

小学5年生の時、 東京の先生の公開レッスンを受けた時

プロのレッスンを受けた方がいいと進められました

そしてプロのレッスンの東儀祐二先生を紹介して頂きました

プロのレッスンは時代背景や心情を理解していくことを求められました

いつしか習い事はバイオリンだけになっていた

お母さんは小学5年から中学3年までレッスンに毎回通い、先生の言葉をラジカセに録音して自主練習に活かした

葉加瀬太郎さんは母親が僕を育てたと思います

音楽的なものも

何も譜面も読めない子バイオリンの弾き方も分からないけど長男と言うか一番初めの子供でもあるし夢中だったと思います

母親は僕を育てるというかバイオリンを教えることに

太郎はバイオリンが上手になったのは近所の方のお陰でもありました

うるさかっただろうなと思うんだよね今考えると

クーラーなんてない時代だから

夏場は窓全開です

しかし近所の方は練習しないと太郎ちゃんどうしたという風に聞いてきてくれたそうです

しかし一般家庭の葉加瀬太郎に大きな壁が立ちはだかった

先生が最低100万円ぐらいのバイオリンを買いなさいと言われた

12歳ともなると大人用のバイオリンが必要になってきます

さらに上を目指すなら最低100万円のバイオリンが必要だと言われました

どんなに才能があっても一般家庭には高すぎるバイオリンです

結局両親は150万円のバイオリンをローンで購入してくれました

今だったら500万円以上する楽器です

中学2年生の時に西日本コンクールで2位に入りました

中学の3年間は1日10時間の練習をしていました

葉加瀬太郎の将来の夢はコンサートマスターだった

しかしこの後、自身の音楽性を変える転機が訪れます

アメリカジュリアード音楽院に入学を勧められられたが しかし15歳で親元を離れる勇気が持てずに断念しました

その後国内唯一の国立音楽高等学校へ進学しました

京都堀川音楽高等学校へ進学しました

数々のプロを輩出した音楽の名門校です

周りもプロを目指す音楽中心の子供達です

クラシック音楽のマニアックな話が出きることがなによりも嬉しかったそうです

1986年東京芸術大学音楽学部へ入学しました

葉加瀬太郎の後に大きな影響を与えるべき事がありました

東京芸術大学に入学して2日目にある音楽を初めて耳にした

セックスピストルズというバンドのコピーバンドでした

大きく心を揺さぶられました

70年代を代表するイギリスのロックバンドです

パンクの音楽ってかなり破壊的と言うか

エネルギーの塊みたいな

それまでの僕にとってはクラシックのオーケストラが一番大きい音でした

さらに学校の寮にはかなりクレイジーな人もいっぱいいました

1から芸術を作り出すアーティストがたくさんいました

自分は一体何を生み出したのかと考えました

彼らと話をすると創作がまず基本にあります

これが僕の場合は何かをやろうと思うと、バッハの楽譜を取り出してきてというところからなので、 若かりしの頃の生意気な僕はこれは単なるコピーじゃんって思っちゃったわけです

そうすると芸術大学に通って教授のレッスンを受けることも自分にとって時間の無駄になってきました

なんでもいいから自分で作りたくなったんです

高校生に時に思ったことがあります

1985年ユーゴスラビア国際音楽祭最優秀賞受賞した時、 3週間のヨーロッパ遠征旅行に行きました

イタリアで本場のオペラを聞くことができました

日本でオペラを見るとに20000円はするがイタリアでは700円だった

本場イタリアでは気軽にオペラを楽しむ人々がいました

お酒を飲みながら酔っぱらいが聞いたり、ここから好きで地元に愛されていると感じました

この時音楽に楽しんでいいんだということに気づかされました

それと同時にクラシックに対する自身の姿勢にある疑問が物心がつく前からイタリアで生まれたバイオリンというものを持って

ずっとクラシックの音楽に憧れて精進してるんだけど、 彼らの音楽をどこまで僕が突き詰められるのかなって言うか

逆に言うとアメリカに生まれたけど 尺八好きなんだよって言って極める人もやっぱり悩むと思うんだよね

ヨーロッパ大陸で何百年も続く音楽を環境も文化も違う日本で楽譜通り演奏するその事に疑問を感じた

クラシックを続けることへの不安を感じた

こうしてクラシックを14年間続けていたが決別した

葉加瀬太郎は1990年クライズラー&カンパニーを結成しました

東京芸術大学三人で結成しました

クラシックとポップスを融合させた斬新な音楽で人気を獲得しました

1991年に日本レコード大賞で企画賞を受賞しました

セリーヌディオンとのコラボシングルは126万枚を売り上げました

葉加瀬太郎さんは実は天使の輪ができるようなサラサラヘアーです

中居正広の金スマSP
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