この差って何ですか?西村と北村の名字が多いのに東村と南村の名字が少ないのはなぜ?

外国人が分からない日本の差です

① 同じ魚なのにサケという呼び方とシャケという呼び方の差は?

シャケという呼び方はサケが変化したと思っていますが実はそうではないです

鮭とシャケは全く別のところから生まれた呼び方です

だからどちらが正解ということではありません

サケの方が先に生まれた言葉だというふうに考えられられています

古い時代からサケを食べていたというふうに考えられますが証拠として平安時代に作られた延喜式という法令集に書かれています

実際に平安時代の法令をまとめた書物の一つ延喜式を見てみるとそこには伊豆は鮭の干物を120匹都に納めなければならないと書かれてあります

サケと書かれてますので平安時代はサケが一般的でした

そしてサケという名前が付けられた理由は鮭の身が裂けやすいということでその裂けをとってサケと名付けられたと言われているのです

シャケという言葉はおそらく江戸時代の頃に使われるようになったのではないかと考えられています

実はアイヌ語でサケを意味する言葉が変化してシャケになりました

江戸時代北海道ではアイヌ民族が生活をしていました

アイヌ民族の方がよく食べていたものがありました

その食べ物は鮭です

アイヌ民族は鮭の皮で洋服や靴を作るほどサケは生活に欠かせないものだったのです

そんなサケの事をアイヌ民族はサケとは呼ばずにシャケンベと呼んでいたのです

そしてある日シャケンベが豊富にとれるアイヌ民族の地へ江戸幕府の役人が交易をするためにやってきて提案をしました

お米とサケの交易です

こうしてアイヌ民族との交易が始まり江戸の町に大量のシャケンベがやって来るようになりました

シャケンベが頭だけとってシャケと呼ばれるようになったと考えられています

そして江戸ではもともとあったサケという言葉とシャケという言葉が混在したため今でも二つの呼び方が存在するのです

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②西村と北村の名字が多いのに東村と南村の名字が少ない差は?

スタッフが日本全国の電話帳に載っている人数を調査しました

西村40449人

北村17345人

東村412人

南村194人

さらに東西南北の下に川が付く名字を調べてみると

西川17040人

北川10201人

東川843人

南川829人

苗字研究家の高信さんに伺いました

多くの人に名字がつくようになったのは平安時代です

西村とか北村という名字も平安時代からです

当時の人々は食料が豊富で川も流れて水もある山の麓に田んぼを作って住んでいました

多くの方が好んで住んでいたのが山の南東なんです

作物を作るには日当たりが大事です

太陽は通常東から昇って西に沈みます

実際は太陽は少し東から南を回って西に行きます

そのため南東は朝一番に日が当たり朝早くから農作業ができるので人々は特に南東を好んで住んでいたのです

でも南東に多くの人々が住んでいたと言うならば西村さんや北村さんではなく南村さんや東村さんという名字の方が多くなるはずですが田んぼを中心にどこに住んだかで苗字がつけられたのです

なぜ田んぼの北側と西側に住む人が多かったかと言うと北と西であれば後ろに山があるので敵から攻められることが少なかったからです

北側と西側に住めば背後から攻められないからです

そのせいで北村さんとか西村さんという名字が多くなったのです

川の近くに住んだ人で西側の人を西川さんと名字をつけたのです

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