たけしのニッポンのミカタ! <ニッポンの地下は宝の山!?>

渋谷の地下に「時が止まったレトロな地下街」

<出演者>
<司会>ビートたけし、国分太一
<ゲスト>森公美子、林家たい平

<番組内容>
現代日本の身近に起きるさまざまな社会現象をテーマにした番組。アカデミックな内容から買い物客の声まで幅広くVTRとしてまとめ、スタジオトークで展開していく知的エンターテイメント番組。

<渋谷の地下街に『渋地下』がある!?>
一日に40万人が往来すると言われる渋谷のスクランブル交差点。流行の最先端と言われる同地域だが、その地下には何があるのだろうか。

その地下には、昔ながらの渋いお店が立ち並び、また渋谷を象徴するユニークなお店が連なる地下街がありました。

【ダンサー向けのお店】
最初のお店はなんと、ダンサー向けのお店。
一番の売れ筋はベリーダンスのショートスカートが一番売れているという。

「ここは安くて良いものを置いているので、何年も通っています。」と買い物客。
「渋谷はいろんな趣味を持った人が集まる場所なので、いろんな方が集まります。」と店主。

【たばこの専門店】
次のお店はたばこ屋さん。お店の冷蔵庫の中には100種類もの葉巻が入っている。店主が世界中を回って仕入れてきた葉巻なのだそうだ。葉巻を愛飲する通な紳士の方が集まり、実際に購入していた人は、昔ながらの煙管(キセル)で吸う珍しい葉巻を購入していました。

昔から渋谷は世襲制の店が多くあり、そのため昔から続く渋いお店が多くあるのだそうです。

改装が続き、どんどん新しくなっている渋谷のスクランブル交差点付近とは対照的に、昔にタイムスリップしたような気にさせてくれる『渋地下』というスポットが面白い!!

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幕張の地下を「瞬間移動するゴミ」

幕張ベイタウンの地域ではゴミの回収が無いそうです。

幕張ベイタウンのとある小学生でゴミ当番の児童が来て、先生がダストシュートにゴミを投げ込んでいました。ダストシュートの下に、特別に潜入しました。

10mほど降りた地点で辺りを見回してみると広大な空間が延々と続いている。小学校の地下10mの地点に大きな空間。そこにパイプのようなものがあり、蓋を開けるとダストシュートに放り込んだごみが入っていました。しばらくすると『ごごごー』という音がして、音が止んだ後、再度パイプを確認すると、ごみが無い!!

そこでパイプの終着点を見てみることに。管理者の方に案内して頂きました。

幕張ベイダウンではダストシュートが48箇所あり、生ゴミと空き缶などの日がある。ダストシュートに投入されたゴミはパイプラインを通って、幕張クリーンセンターに運ばれるそうだ。パイプラインをどのように運ぶかというと、真空状態にして風の流れを作り、ゴミを運びやすくするのだそうだ。

パイプラインのゴミの移動速度を測ってみることにした。
試験的にゴミを投入し、クリーンセンターに届くまでの距離と時間を計測すると、なんと時速75kmでゴミが移動していた!そして実際のゴミはさらに密集して運ばれるため、普段は時速100kmまで出ているそうだ。

そして地下のパイプラインはにおいがない。パイプラインは密閉空間となっており、さらにゴミも圧縮されるためまず匂いがないのだそうだ。

元々幕張は埋め立て地だったそうだ。そこに街を作る時に、「地下を有効利用しよう」となり、68億円をかけてこのごみパイプラインのシステムを立ち上げたそうだ。そしてこのシステムが活きるのは住民のゴミに対する意識が支えになっているからなのだ。

ゴミ収集車なども無く、においも無い。そしてカラスや野良ネコもいなくて、非常に清潔感のある街となっている。

そしてこのゴミ収集システムは様々な自治体で導入されているそうだ。
一見、良いことづくしのゴミ収集システムだが、維持費が大きく廃止する自治体もあるそうです。

<神田の地下で作られる『ナゾの酒』とは!?>
神田の「天野屋」で大人気メニューが「甘酒」。戦後、食べ物が豊富に無かった時代、甘酒はジュースとして親しまれ、滋養強壮にも良いとして、みんな好んで飲んだそうだ。

その甘酒は昔からお店の中で作っており、そして今もお店で作られているそうだ。その現場を見せてもらうと、地下に工場がありました。その工場に潜入すると、少し寒く、自然の温度で、真夏でもエアコンを使わなくても18℃に保っているそうだ。

美味しい甘酒を作る秘密があり、地上から地下へ続く管があり、地下へ米が落とされる。
米を発酵させるための酵母菌を地上で混ぜ。この管を使って、地下へ運ぶのだそうだ。地下の赤いレンガの壁には、さらに発酵させるためのこうじ菌がびっしり張り付いていた。

白米と酵母菌、壁のこうじ菌、この組み合わせが美味しい甘酒を生むのだそうだ。

壁のこうじ菌は江戸時代から洗ったりしたことはないのだそうだ。

江戸時代から神田は甘酒を造る店が多く、神田は海抜が高い地形もあったため、多く地下が掘られたそうだ。だが時代が進み、土地の管理等も問題や、廃業のお店も多く、昔ながらの地下で甘酒を造るお店は「天野屋」だけとなってしまったが、今でも「天野屋」には多くの人が駆けつけ、甘酒が人気を博している。

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